この本のタイトル変えなよ ~ズームイン、服!
今日のスミレはちょっと凹んでいる。何かがあった訳ではない。何もなかったから凹んでいるのかもしれない。
実はスミレは職場であまり役に立つ人間ではないのである。能力がないとは思っていないのだが、それほどやる気がない。役に立つ人間でありたいとは思っても、張り切るといつもロクな結果にならない。だからなるべく表にでないよう、めだたないよう、陰で支える存在であろうと思っている。
その、「陰で支える」も、たまにポカする悲しさよ。
今日はポカした訳ではないが、居ても居なくてもなスミレをちょっと感じたわけだ。
そんなスミレにとって、「社会の枠外」で暮らす人は憧れだ。
スミレの好きな、建てない建築家、坂口恭平が服をテーマにしている!と興味津々で手に取ったが、全く服にズームインしていなかった。
だが、出てくる人はどれもこれも「枠外」の自由人。普通と違う、面白い生き方をする人たちがこんなにいるのかとちょっと驚く。
やっぱり個性の強い人のもとには、そんな人たちが集うのね。
そう、この手の人々は「集う」とか「一緒に飲もう」とか好きだと思う。スミレは、そんなことがまた苦手だ。
仲間をつくる魅力もない、自分一人でやれる力もない、ダメ子ちゃんスミレなのだ。
自分の道を持っている、強い人たちの世界。いいなぁ。
などと凹むスミレであるが、これくらいなら間違いなく明日は元気だ。ダメ子ちゃんはとりあえず今日限定で。
スミレはスミレでやるしかないからな。
ちょっとだけ、この本に出てくる人々から力をもらって、頑張るか。
そんなヒントはありの、服に関係ない本だった。
次の本いこう。
ちきりん本の中では一番好きかも(「社会派」は要らないと思うけど)社会派ちきりんの世界を歩いて考えよう
ちきりんを読む。
「おちゃらけ」なところがいい感じの社会派だ。
スミレはちきりんが好きだが、こういう見たままを感性だけで書いたものが好きだ。
よく知らないで書いている、など言われることがあるようだが、そんなものだろう、ただのブロガーなんだから。
この日本の暮らしでは、ちきりんを嫌いな意見も、好きな意見も読むことができる、それぞれ面白い。
それぞれなるほどなぁと思うスミレは、社会派でもないし、よく考えてもない。能天気なんだろうが、毎日楽しいのである。
次の本いこう。
生んだだけで感謝なんて笑わせる うちの母ってヘンですか?
怖い本、と言ってスミレが思い浮かぶもの。
次はこれ。
今日読んだ本はこの続き。
うちの母ってヘンですか? (Akita Essay Collection)
- 作者: 田房永子
- 出版社/メーカー: 秋田書店
- 発売日: 2014/09/16
- メディア: コミック
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母娘問題は、非常に面白い。とても大きな問題と思う。
幸いスミレの母親は、この本の様にヘンではない。だがそれはたまたまだ。
母親は夫と離婚して、働かなければならなかったので、子どもに構う暇がなかったのだ。
働き出す前は、いちいちスミレのやることに干渉してきた。母親が働き出して、学校から帰り鍵を開け、家に入りテレビを見たりゴロゴロしたり。親がいないってなんて自由だと感動したものだ。
それでも、スミレの感覚では、母親はやや過干渉だったので、働いていて本当に良かったと思う。おかげで関係は良好を保った。
産んで育てて可愛がってくれた母には、本当に感謝している。スミレがこんなに幸せにのほほんとした性格なのは、愛されて育ったからという自覚はある。
そんな母親でも、スミレの意識において、絶対的な影響はかなり大きかった。何をするにも母親の意見が反映されたり思い出されたり固定されたりする。
母親が亡くなって、5年ほども経ってからだろうか、やっと解放された気がした。苦しむような束縛ではなかったが、常にスミレの上位にいた母親が、ただの一人の人間として対等になったのだ。亡くなって5年もしてだ。
全く母は偉大すぎる。呪縛を解いて、母親を超え自由を目指す娘は大変だ。
母よりも、娘は自分の幸せを優先しなければならない。それが生きるということだろう。ダメな親は捨てるべきだ。
近頃の「家族礼讃」縛りにはうんざりである。
次の本いこう。
スキップ・ビートでトキメキツアーから帰れない
こうして日記を書こうと思って驚いた。なんと16日ぶりである。
16日間、スミレは旅に出ていた。トキメキ夢遊ツアーとでもいいましょうか、16日経って、どうにも生活に支障をきたし、やっと帰ってきたところだ。
行先はこれ。
1巻試し読みをして、面白いじゃんと読み進むうちに、もう脳内がスキビ菌に侵されどうにも止まらず36巻まで。
普通なら一通り読めば次へ、であるが、菌の威力が予想外に強く、この16日間毎日繰り返し繰り返し、読み続けたスミレなのであった。
これほどのトキメキツアー、高校生以来かもしれぬ。他の本も読んでいるのだが、どれもこれも乾いた砂漠の様に味気ない。
物語は、恋心をもてあそばれ(心のみ、身体ではない)復讐に燃える16歳のキョーコちゃんが主人公。特技は怨霊を自在に操れることと、メイクと演技で別人になり放題なことである。
そんな彼女に秘かにムラムラと欲望をたぎらせるのは、日本一イイ男とされる俳優、敦賀蓮。
二人ともとっくにラブラブなくせに、お互い過去と勘違いを引きずって、欲望を隠し合いながらも隠せないシチュエーションを繰り返す、という話だ。
毎朝毎晩読み返すたび、は~~~~!と深いため息をつく萌え萌えマンガである。
絵がちょっと昔風で、特に男性の顎の特筆すべきとがり具合に、はじめは笑わずにはいられなかった。だが今では全く気にならない・・か?
ともかく、蓮さまが無防備なキョーコに欲望をかきたてられ翻弄され、つい夜の帝王と化してしまっては踏みとどまりモヤモヤする、というパターンがスミレを夢の世界へ旅立たせてくれるのである。
心配なのは、このマンガ、連載開始からもう10年は経っているらしい。長すぎる。
スミレが生きているうちに終わるのだろうか、とても心配だ。
蓮さま、早いところ欲望に忠実になり、ハッピーエンドを迎えてくれ。
でないと、旅から帰って来れなくなってしまいそうなんである。いやホントに。
スミレの全てをスキビから塗り替えてくれる本を求む。
マジで、次の本行かなくちゃ。
善良な銀行員もいるという夢を見たい 銀翼のイカロス
半沢直樹最新刊。
水戸黄門の様に安心して読める池井戸潤のシリーズ。これも面白い。
半沢は正義の男だが、本当のところ、こんな銀行員少ないだろうと思う。いないわけではないだろう・・と信じたいが。
必ず半沢を敵のごとく嫌がらせしてくる同僚や上司がいるわけだが、こちらの方がリアリティがある。
池井戸潤の初期の短編を読むと、銀行員はどいつもこいつもクソ野郎だなと思ったが、あれが真実に近く思える。
また半沢の勤める銀行は、2行が合併したもので、何年たっても旧行を引きずっているが、これも実際そうだろうと思う。
スミレは、合併から10年も経った銀行の対応で、どちらの銀行の案件か聞かれ驚いたことがあるからだ。もうない銀行の名前を言わせられるとは、思ってもみなかった。あの行内では当たり前かもしれないが、客からすれば唖然である。
半沢直樹でも、敵はまず身内にいる。疲れるが、よくあることで、共感を呼ぶ。
小説では、ドラマの様に嘘っぽく面倒な妻が出てこないところがいい。
黒崎のイメージは、すっかり片岡愛之助で、これには異存ない。
次の本いこう。
ファンシーショップは竹久夢二からはじまった
普通の女の子の 例外にもれず、スミレは竹下夢二の世界が好きだ。
彼は、偉大なデザイナーで企業家である。
女の子が現在と同じように「カワイイー!」と叫ぶ小物をデザインし、日本初のいわゆるファンシーショップを開店した。
実際、今見ても夢二デザインは可愛いものだらけだ。
ファンシーショップ。スミレにとってこれは「くきなみ」という店だった。スミレが生涯において初めて出会った、可愛いものだらけの店である。
細く汚い川筋に並んだ商店の中の一軒だった。友人が教えてくれて、いっしょに入ったその店は、小学生だったスミレにとってかなりお姉さん向きの、敷居の高いお店だった。ピンク系を基調とした、化粧小物などがメインだったと思う。
小学生がホイホイと買えるようなものは何もなかったが、友達の誕生パーティーへ持っていくプレゼントなど、特別の物を買う時に、特別にお小遣いをもらってくきなみへ行く。ずらりと並んだ可愛いものの中から、たいして役には立ちそうもない置物や貯金箱(!)やらを予算内で選び、きれいに包装してもらうのが嬉しくてたまらなかった。自分のものになるわけではないのに、その夢のような店内にいるのは、うっとりする魅惑的な時間だった。
しばらく経つと、くきなみにサンリオ商品が並び始めた。お姉さん向けの商品の中にあるそれは、もろに子どもである自分たちに向けた可愛いものであり、自分たちが買える金額を提示している。サンリオは、スミレたち少女の可愛い魂を、まさにずぎゅんと打ち抜いたのである。衝撃だった。
あっという間にくきなみはサンリオショップになった。お店のガラスドアには依然「くきなみ」とデザインされていたが、中身はサンリオショップそのままで、小学生で溢れかえっていた。
今ではちょっと大きなスーパーに、ショッピングモールに、どこでもあるサンリオショップ。ファンシーショップの代名詞ではないだろうか。
スミレが小さいころには、滅多にない、可愛いものだけを置いている夢の店だった。
そのルーツが夢二にあるかと思うと、カワイイ遺伝子の根深さを感じる。
サンリオショップに狂喜することはもうないけれども、可愛いものだらけのファンシーショップには、やはりずきゅんとすると思うのであった。
次の本いこう。
爆笑とか言って遺書載せる不可解さ おかんメール
おかんは面白いもので、その方が愛らしいと思うのだが、それを馬鹿にしている、失礼だと、スミレはおかんは本気で怒っていた。そんなおかんはスミレには残念だった。スミレのおかんは、生きていても面白いメールはくれなかったと思う。
別におかんに限らないが、変換ミス等のメールというのは、思いがけないおかしみを生むものだ。爆笑ってほどでもないが。
それよりこの本、103ページは明らかなミスではないだろうか。どのメールよりこれが気になって、一応最後まで読んだものの、二度と読み返そうとは思えなかった。
大好評につき、続巻が出ているが、スミレは恐ろしくて読まないと思う。またこんな「母の暗号」が載ってたらたまったものではない。
編集は何を考えてこのメールを載せたのか、この本を称える人はこのページが気にならないのか、理解に苦しむ。
楽しい気分になろうと読む本に、とんだ地雷である。
中身を知らない皆さん、気になるでしょう?でもここには載せない。
ここにそれを紹介するのも悲しいから。
気になる人は立ち読みしてください、買うほどではないし、売れるのもしゃくなので。
次の本いこう。