zumireの日記

本読んで考えたこと

裁判では「なぜ殺したか」はわからない~殺人者はいかに誕生したか

日記を書くのは久しぶりになってしまった。

スミレはショックで寝込んでいたのである。

何がショックかって、ここんとこ噂のUQwimaxなのだ。

なんであの時そんな気になったのか、今までのwimaxがなくなるとかいうメールが来て慌てたのである。

契約をした直後にブログを読んで、マジ?と目が点になった。

あぁあと思ってるうちにブツが送られてきたのだが、スミレは今忙しいことと、結果を見るのが恐ろしい小心のお蔭で、まだ開封していない。

スミレ、馬鹿? 馬鹿決定?

いつ開封するか、まだ未定。

 

というわけで、いつものように逃避旅行に出発だ!

 

 2010年の単行本の文庫化。

これね、スミレ涙出た。

被害者が可哀想とかではなく、加害者の生い立ちの悲惨さにとかでなく、

この著者の、「こんな事件を二度と起こさないように」という、祈りの必死さに、泣けた。

この長谷川さんという方、なぜこんなことになってしまったのか、という真相解明のために真摯に努力してくれている。必死さが伝わってくる。

 

知らなかったこと、2点。

1.裁判は真相解明するのもではなく、量刑を決めるためのもの。

 これは、知らなかったけど、スミレはこの方がいいように思う。

 ただし、裁判と別に、弁護側でも検察側でもない立場で真相解明のシステムが必  要。でないと悲劇は繰り返される。

2.自分の息子をせっかんして殺した母親の事件、覚えていたが、こんな真相とは知らなかった。これでは真犯人が野放し状態ではないか、恐ろしい。

 

やはり、と思ったことは、

どの加害者も、深刻な暴力の被害者として育った、ということである。

 

子どもは、幸せを感じながら育たなければならない。

それが、人生を支えてくれる基盤になるのだから。

この10事件だけで、解答の一部は明確だ。

 

そして、長谷川氏の祈りが通じるよう、彼の行動を妨げるものがない事を祈る。

 

次の本いこう。