zumireの日記

本読んで考えたこと

学校で勉強する時代ではなくなりました

普通の人は、当たり前だったことがそうではなくなって初めてその大事さを知る。

スミレは、働き始めて初めて学校での勉強が大事なことだと気付いた。遅すぎる。「もっと勉強しておけばよかった」とは年配者からよく聞いたセリフで、やっぱり自分も言うんだなと思った。

話はそれるが、大人が子どもに「自分も子どもの頃は分からなかったが云々」というセリフは、子どもからすれば「じゃぁオレも今はわかんねーよ」で終わる。スミレが言わないでおこうと思うセリフその1だ。

 

 大学受験はしていないスミレだが、定期考査の試験勉強は結構得意な方だった。

スミレの感覚では、この本の言うことは正しい。そう、その通り、授業なんか聞いてないで自学自習することこそ大事である。けれども受け身ばかりの今どきの学生が、いきなり自学自習をやるのは大変そうであるが。

 

これからの若者たちが、自分で積極的に様々な経験を積んで、自学自習出来るなら、確かに学校は要らないかもしれない。先生は勉強を教える人ではなく、コーチング的な役割をする人になるだろうと確かこの本にもあった↓。

 

ウェブとはすなわち現実世界の未来図である (PHP新書)

ウェブとはすなわち現実世界の未来図である (PHP新書)

 

 

 

ウェブとはすなわち現実世界の未来図である (PHP新書)
 

 本当にそうだな~。この参考書学習、学校の先生も誰か試してみたらいいのに。進学校でないところほどできそうなんだけど。

受験についてはそれでいいが、スミレは学校の全部が人生において無駄だとは思わない。というか、学校はまさに効果に直結しない無駄な体験をするために行くところのような気さえする。本来は勉強よりそれが目的なのではないか。

例えば、多人数をまとめる方法とか、理科や家庭科の実習とか、先生の無駄話とか、自分からは普通はじめないリコーダーを吹いたり、好んで観ない映画の鑑賞、などなど、行ってなかったら一生知らなかったようなことを体験するために学校はあるのではないだろうか。

無駄な出会いというのは、思いがけない楽しみをもたらすものである。スミレの乱読はそれを求めている。

ただそれだけのためには、学校の拘束時間は長すぎる。午前中で終わりにしてほしい。午後は自分で考えて動く自由時間にするべき。

いかん、自分自身が考えていなかった時代だったのに、やっぱりそれを若者には求めちゃったよ。これも大人になったってことか。

でも一つ言えるのは、考えてない頃よりちょっとは考えるようになってからの方が人生数倍も楽しくなるよということ。若者頑張れ。

 

次の本いこう。